izackのブログ

小説の投稿。

安達祐実の大ファンだっ!(2)

 まずこのブログは、安達祐実との運命的な出会いについて語られなければならない。だがそれには長いプロローグが必要なのだ。気長に付き合ってください。頼みます。
それは忘れもしない2年ほど前の、何月かは忘れたが雨の降り続くある日のことだった。
 女房が言った。
「ねえ、洗濯物を乾かしてきてくれない?部屋の中が片付かなくて鬱陶しいわ。」
「うむ。」私は家事に関してもしっかりと役割を果たす男である。しかし、洗濯物の乾燥という役割を必ずしも喜んでいないことを示す必要があると考えたので、憮然としてそこに立ちつくしてみせた。
 女房は鼻の穴を指でほじくりながら私の様子を流し目でうかがっていたが、ついに黙ったままである。
 「いいわ、やっぱり私が行ってくるわ。」とは言わない。なんて女だ。
 コインランドリーは車で5分ほどの距離にあった。
主婦でいっぱいだった。
 主婦というのは順番待ちとかそういうことに関しては恐るべき存在と化す。利己的な行動を恥じるどころか誇っているようなところがある。厚顔無恥というやつだ。やっぱり表現が古いなあ。
 私は一瞬で自分が主婦化するのを感じた。ただ一つ空いていた乾燥機に向かって突進した。途中でおばさんを二人ぐらい跳ね飛ばしたかもしれない。とにかく乾燥機をゲットしてほっとひと息ついた。洗濯物を叩き込みながらあたりの様子をうかがう。文句でも言ったら噛みついてやるぞという目の色である。
 ともかく濡れた洗濯物を傍らに、あてもなく乾燥機が空くのを待つという絶望的な時間を過ごさずに済んだ安堵感が私を包んでいた。
 硬貨を投入する。20分もあれば乾くという事を知っていた。だがこの20分が若者的な表現をすればビミョーな時間であった。長いようで短い、短
いようで長いのである。
 20分間ただボーッとしてるのか?いったん自宅に戻るという手もある。だが乾燥が終わるまでにまたここに来るとして、往復10分、残る時間は10分しか無い。その10分を惜しんでやらなければならない差し迫った用事は無い。結局ただ待つことにした。
 コインランドリーには片隅に小さな本棚があった。以前来たときはそこに古びた女性週刊誌が数冊置かれていた。最悪の場合、その表紙でも眺めて時を過ごさなければならないだろうと覚悟を決めて目をやると、思いがけず分厚い本が7,8冊も並んでいた。背表紙にタイトルが浮かび上がっていた。「ガラスの仮面」と読める。少女漫画のようだ。
 私は実は漫画大好き少年として育った。小学生の頃、まだテレビの無い家庭が多かった。子供たちの楽しみと興味は自然と漫画に向かった。
 鉄腕アトムや鉄人28号。なつかしいな。「ビリー・パック」という国籍不明の探偵漫画もあったな。
 その頃町には貸本屋というのがあった。子供でも5円とか10円を持っていくと一冊の漫画本が二泊くらいで借りられた。それにも夢中になった。
 貸本屋の漫画本は鉄腕アトムとは違って刺激的な内容の物も多かった。行きずりのアウトローがその町を牛耳るボスを拳銃で撃ち殺す、なんてのはざらだった。
 勿論、親が安心する内容の物はたくさんあった。中でも子供心にも大きな衝撃を受けたのが水木しげるの漫画だった。ページに視線が釘付けになった。たしか硫黄島の白旗というような題の戦争漫画だった。そのページには日本軍が運搬などに使用したのであろう小さな船が描かれていた。
岸壁にもやってあるがすでに大きく傾いて航行不能に見える。その廃船にも似たたたずまいは、滅びゆくその島の日本軍を暗示しているかのようだった。
 船の甲板や舷が陰鬱な無数の線と陰に縁取られて、それでいて確かなリアリズムを感じさせる。わずか一ページに信じられない労力が費やされていた。それは驚きだった。そして感動だった。
 どんな漫画を借りてきたのかそれとなくチェックしていたらしい母親が「この漫画は良いね」と呟いたのを覚えている。
 漫画大好き少年が、漫画大好き青年になった頃(結局進歩が無かったんだろうな)少女漫画のページを繰ったこともあった。読むとも無く目を走らせて驚いた。想像を絶する世界がそこにあった。
 美女、美男が颯爽と登場する。その大きすぎる眼にはたくさんの星が光り輝いている。星が…!目鼻立ちは日本人離れして彫りが深く、髪はきっと金髪かなんかだろう、黒ではない。そしてコマ割りをぶち抜いて現れる彼女や彼らは12頭身ぐらいの足の長さである。日本人離れというよりももはやホモサピエンスではなくなっている。
 そしてページのあちこちにあしらわれている花々はきっと心象風景なのだ。一輪や二輪というのではなくブーケや茂みのボリュームで飛び回っている。
 結局すごすごと少女漫画から撤退した私だが、今は贅沢は言ってられ無い。とにかく何かで時間を埋めなくてはならない。
 それから「ガラスの仮面」という少女漫画らしからぬタイトルにも興味を持った。これはきっと探偵少女が活躍する物語だろう。彼女は次々と偽善者の仮面を剥ぎ、その素顔と悪事を暴いていく。「ガラスの-」とある以上ミステリーの要素も色濃くもっているはずだ。
 B5版ほどの大きさでかなり分厚い。月刊誌に連載されたものをまとめたとしたならば一冊で半年分あるいはそれ以上になるかも知れないというボリュームだ。
 ページを開くと 紛れもなく少女漫画だった。大きな瞳に星がいくつも宿っている。だが私の考えたような内容ではなかった。当たり前である。
 ご存知の人も多いだろうが、一見なんの取り柄もない平凡な少女が女優を目指す、という物語だ。読むにしたがって彼女の芝居に対する情熱は並々ならぬものだと知る。彼女はその情熱だけをエネルギーに自分の運命を切り開いていくのである。面白い。 
 夢中に読んでいるうちに洗濯物の乾燥がおわってしまった。未練たっぷりだが帰宅するより他無かった。  
 だが数日もしないうちに思わぬ幸運が私を訪れた。朝からの雨だ。
 女房が言った。
 「ねえ、洗濯物を乾かしてきてくれない?部屋の中がかたづかなくて鬱陶しいわ。」
 「うむ。」いそいそと出かけた。
 そして更なる幸運が私を待っていた。コインランドリーに主婦の姿が見えないのだ。小躍りする思いだった。
 「ガラスの仮面」を読み耽った。この時気づいたのだが、そこにある単行本のバックナンバーが揃っていないのだ。一,二集はあるが三,四集が無い。五集があって六集が無かった。そして十集で終わっている。
 かまわず読んでいてある驚きを感じた。それでも面白いのである。普通ストーリーがごっそり抜け落ちた漫画や小説を読んで楽しいだろうか。違和感があり興をそがれるはずだ。話の筋が思わぬ展開を見せているのに気づいて鼻白むことになる。連続して読むからこそ物語として成立しているはずだ。だが「ガラスの仮面」は少し違う。たしかに不連続ゆえに登場人物をとりまくディテールは拾えない。しかしそれが気にならない。骨太でゆるぎない物語に引き込まれる。そして一集ごとにクライマックスが用意されているかのようである。うーむ、作者の美内すずえ、どんな女か知らんが並の人物ではないな。
 気づくと二時間が過ぎている。慌てて帰宅すると女房が両手を腰に当てて待ち構えていた。
 「どうしたの。ずいぶん遅かったじゃないの。何かあったの?」
 「いや。」
 「事故かなんか起こしたんじゃないでしょうね。」
 「いや。」
 「誰かと会っていたの?」
 「いや。」
 「いったい何があったのよ。私は心配で心配で…」
 うるさいからつい白状してしまった。
 「少女漫画を読んでいたんだ。面白くてつい遅くなってしまった。「ガラスの仮面」という漫画だ。」
 あるいは「ガラスの仮面」を知っているかも知れないと思って口にしてみたのだが、全く反応は無かった。そういえば女房は漫画を読んだことが無いらしい。「面倒くさくて読む気になれ無い」と言うが,そもそも活字を読むのがいやなのである。彼女が本を読む姿を数十年間一度も見たことが無かった。
 好きなのはテレビのお笑い番組だ。人の視線を妨げる場所に陣取って「ぎゃははは」と軽薄な笑い声を上げながら画面に見入っている。そして時々「ブッ」と屁をするのだ。
 「そんな所で屁をするなっ。」と言うとたちどころ「ブッ」と屁で返す。
 「だから屁をするなと言ってるだろう。」
 「ブッ」
 「お前の腹の中はどうなってるんだ。」
 女房がいきんでいる気配が伝わるが,もう屁は出ない。ざまあみろ。
 「どうした。もう屁が出ないようだが。」
 女房は向こうを向いたままで「フフフ」と笑うのである。なんという女だ。
 だが彼女に「ガラスの仮面」の話をしたのは間違いだった。次に洗濯物の乾燥を頼まれた時、少し尊大な雰囲気が感じられた。鼻の穴を指でくじりながらこう付け加えた。
 「「ガラスの仮面」を読むのも良いけど早く帰っておいでよ。」
 「うむ。」
 女房は意味も無く精神的優位に立っているような表情だ。
 「わかったわね、「ガラスの仮面」をいつまでも読んでいるんじゃあないわよ。」
 「う…む。」いつの間にか防戦一方である。
 ほどなくしてコインランドリーの「ガラスの仮面」を読み終えてしまった。女房がパートで留守の時はたとえ天気が良くても洗濯物の乾燥に通ったのだ。そして気になったのがやはりバックナンバーが不揃い故の欠落した部分と十集の続きはどのような内容なのかと言うことだ。それを知らないとストーリーを追えないという事では全く無く,美内すずえという女がその部分に必ず感動や苦悩を用意したはずだという確信が私を駆り立てた。
 「「ガラスの仮面」が全部揃うようなところはないのかなあ。」なかば独り言のように女房に話しかけた。
 「本屋さんにいけば。」
 「だからどこの本屋さんにいけばいいのかな。」
 「本屋さんはいっぱいあるわよ。」
 「だからどこの本屋さんにいけばいいのかと言っているんだ。」
 「本屋さんにいきなさいよ。」
 ええい、こんな女に話しかけたのが間違いだ。腹を立ててはみたものの女房が言うとおり本屋に行ってみるしかなさそうである。
 まず一番近い書店に行った。ショッピングモールに出店している書店だ。それなりに広いスペースだ。
 新刊を平積みしているあたりは避けて書架の立ち並ぶコーナーへ進む。書架にはそれぞれにジャンルを示すプレートが掲げられていた。
 「少女コミック」のコーナーで必死に背表紙の文字を追う。時折客や店員が近づいてくる。痴呆老人のふりをしてやり過ごす。そしてついに「ガラスの仮面」の小さな単行本を見つけた。見つけたのだが、しかし…。
 薄くて小さな単行本がわずか3冊並んでいた。40巻とその前後だ。バックナンバーが見事に揃って並んでいるさまを想像していたので意外に感じた。失望してしまった。それに40巻が私の読んだ本とどのようなつながりをもっているのか見当もつかなかった。薄い単行本はビニールでラッピングされていて内容をうかがい知ることが出来なかったのだ。途方にくれるというやつだ。
 結局単行本は買わなかった。もしそれを手に入れると新たに欠落した部分を増やす結果になるだろうことは目に見えていた。さすがにそれは避けたかった。他の書店でも結果は同じだった。諦めるしか無かった。悄然と帰路についた。
 えっ、安達祐実はどうなったのかって? 「ガラスの仮面」のところで察しのついた人は多いはずだ。しかし私が安達祐実と出会うのはまだ先のことなのだ。えっ、早くしろって? 年寄りを急かすものじゃない。慌てて死んでしまったらどうする。

安達祐実の大ファンだっ!

 突然だけど、安達祐実の大ファンになってしまった。彼女が主演した二十年ほども前のテレビドラマのビデオを見たのがきっかけだ。タレントのファンになるのは楽しいものだと知った。ドラマの中の顔や表情に出会うたびに嬉しい気分になれた。
 若い頃、ビートルズのファンを自任していた。しかし今になってみると果してどうだろう。たとえば道でバッタリとジョンレノンやポールマッカートニーと出会う。そんな事が有るはずは無いし残念ながらジョンレノンはとうに死んでしまっている。だがもし彼らに道でバッタリ出会ったら、狂喜乱舞して(古いよ表現が)興奮してTシャツを引き裂き…私のシャツは着古しの洗いざらしで小さな穴が沢山ある。女房に言う。「おい、お前の顔が透けて見えるぞ。」すると女房は「まだ着られるでしょう。」と言い返す。なんて女だ。そのシャツを引き裂き体にサインしてくれと頼む。そんな自分を想像出来ない。ファンというより彼らの音楽が好きだったという事だろう。
 だが、もしも安達祐実と道でバッタリ出会ったとしたらどうだろう。だからそんな事は無いって。驚喜乱舞して(もうよせよ)そこら辺を走り回るかも知れない。あげく車道に飛び出して車に撥ねられてしまうかも。それこそがファンのあるべき姿だろう。
 けれども私が夢中になっているのは二十年前の安達祐実である。だから彼女のファンだというのは微妙な表現になるのかも知れない。なぜなら現在の彼女のことはほとんど知らないからだ。
 しかしそれは大した問題じゃ無い。私が安達祐実のファンであることは間違いないのだ。今ではあの「家なき子」の様々なシーンからお気に入りの彼女の表情をスマートフォンに登録していて、しょっちゅうそれを眺めながら幸福感に浸っている有様だ。これって肖像権の問題があるのかな。あるんだろうな、やっぱり。でもそんな事は気にしないのがこの老人なのだ。あまり上品な人間では無いな。
「どうだ、可愛い子だろう。」
職場でバイトの学生に見せた。
「めっちゃ可愛いですね。誰ですか。」
「これはな、二十年前の有名なドラマで主演した女の子で、名前をとくに教えてやってもいいが良く聞けよ。なんだもういない。」
若い者はせっかちでいけない。二十年前と言ったのがいけなかったな。あれで興味を無くしたんでは無いだろうか。せっかく安達祐実のことを聞かせてやろうとしたのに。…彼女のことを誰彼となく熱く語りたいという、もう訳の分らない感情にとらわれているのだった。
「安達祐実BAR」というのがあれば良いなと思う。そこは彼女のファンが人知れず集まる店なのだ。一番乗りは私だ。年寄りは時間の感覚が疎いのか。店主がまだ開店の準備をしているが何の文句も言わずにいてくれる。彼も家なき子の大ファンなのだ。同じ価値観を持っているのだ。何処までも寛容になれるはずだった。
 店は昔の西部劇に出てくる小さな酒場の雰囲気だ。床は板張りで、細長いカウンターがあり、中央には丸いテーブルとそれを囲むように椅子が置かれている。全て木製で飾り気が無い。
 次に入ってきた客はカウボーイだ。腰に二丁拳銃を下げている。シャツの首まわりと脇の下に汗が滲んでいる。家なき子を語りたくて砂漠を越えてやって来たに違いなかった。
 続いてチャコールグレーのスーツを着た男だ。白いシャツの胸のあたりにフリルがあってエンジ色の蝶ネクタイをしている。紳士のようでありながら、何処か崩れたムードを漂わせている。彼はカード使いなのだ。つまりポーカーの相手を見つけてはイカサマ技を駆使して金を稼いでいるのだ。
 最後にサラリーマンがやって来た。小太りでジャケットが窮屈そうだ。もう仕事は終わったとばかりにノーネクタイだ。この男は言い出したら聞かない頑固さを持っているがその実小心者なのだ。
 私は焼酎のコップを手にしている。カウボーイはバーボンだ。カード使いは気取ってスコッチ。サラリーマンはカシスなんちゃらというカクテルだ。男ならマテニーくらいにしておけとは思っても、そこは同じファン仲間、余計な事は言わない。
 店主が大きなプラスチック製の皿を持って来てテーブルの上に置いた。「こいつは店からだ。」
皿の上には大量の焼き鳥が串のまま並んでいた。四人は頷いたが誰も礼を言わない。この焼き鳥は結局テーブルの料金に含まれていることを経験的に知っていたからだ。だが店主も同じファンなのだ。嘘をつくはずが無かった。つまりは若干の割引と、串に敷かれている大量のレタスやキャベツが店の奢りだと理解していた。
 店主が今度は自分用のビールの小瓶を手に、いそいそとテーブルにやって来た。彼が椅子に着いたとたん、サラリーマンがフライング気味に口を開いた。
「家なき子の第一話で犬のリュウが初めてすずの足許に近寄ったシーン、あのローアングルで捉えたシーンさ。あの時すずがリュウに、何もあげないよ、って言ったよね。あれが頭を離れなくてね。すずが可愛いだけの少女じゃなくて、しかもドラマが一筋縄でいかないものだと暗示しているわけさ。俺はあのシーンを想い出すたびにすずが哀れでいじらしくってネ…。」
テーブルの皆は黙って頷いている。だが犬のリュウが登場する以前にすずはクラスメートのランドセルから塾の月謝を盗むという行為を働いている。すでにこのドラマが常識の枠を超えているのは明らかになっていたのだが、誰もその事を口にしない。同じ価値観を共有しているのだ。限りなく寛容な視点で互いを見ている。
 この時サラリーマンが「ぎゃっ。」と叫んで椅子から跳びあがった。隣のカード使いの肩と腕を掴んでいる。彼が怖れ慄きながら見つめる床の上には一匹のゴキブリがいた。まるで挑むかのようにサラリーマンに近づく気配だ。
 突然、カウボーイの45口径が轟音と共に火を吐いた。弾丸は一発でゴキブリの心臓を撃ち抜いていた。もはやピクリとも動かない。凄まじい腕前と言う他無かった。
 安心した様子で再び椅子に腰を下ろしたサラリーマンがカウボーイに言った。
「バーボンを一杯奢らせてくれ。」肩をすくめて続けた。「そうしないと俺の気が済まないんだ。」
カウボーイは微笑を浮かべて無言のまま頷いた。カード使いはサラリーマンに掴まれた自分の肩を手のひらで二度ほど払ったが何も言わなかった。
 さて、このBARの表の看板にそれらしき文字が書かれているわけでは無かった。だから安達祐実に無関心な客も訪れる。当然な事だった。そのようなとき店主は見かけない客であっても愛想良く近づく。そしておもむろに切り出すのだ。
「保阪尚輝と堂本光一。強いて言えばどちらが好みです?」
二人は安達祐実の共演者なのだ。保阪尚輝は家なき子1に、堂本光一は家なき子2に出演している。
その事を知らない客が「いったい何の話?」などと言おうものなら店主の態度はガラリと変る。
「その辺に座っていいぞ。」とカウンターの隅を顎で差す。
客が飲み物を注文すると渋々ビールの小瓶をその前に置いた。
「コップが無いんだけど。」客が戸惑って訴える。
「口があるだろう、口が。」と瓶から直接飲む仕草をして見せた。
それがこの店のスタイルなのだと客は一応納得したようだったが「つまみが欲しいな…。」と口にした。
店主は舌打ちをして小さいビニール袋を乱暴に置いた。ピーナツの文字が見えた。店主はテーブルに戻る途中でふと立ち止まって客を振り向いた。
「帰るときには金をカウンターの上に置いていってくれよ。」と不機嫌な様子で告げた。
テーブルの客達はそんな店主の態度を落ち着いて見守っていた。家なき子を知らない客には当然な振る舞いだと感じていた。いや、むしろ知らなかったのは運が良かったといえる。これがもし「ああ、あの家なき子か、所詮は子供騙しだね。」などといい加減なことを口にしようものなら、この男をどのような酷薄な運命が待ち受けていたか想像するだけで恐ろしい。まずカウボーイの二丁拳銃が黙っちゃいないだろう。
 このエルドラドのような酒場は残念ながら私の空想のなかにしか存在しない。大きな溜息をついて、しかし老人はあることに気付いていた。この日本にはいつの頃からか「ブログ」という制度があるようだ。これはつまり掲示板のようなものではなかろうか。そこに私見を述べることができ、興味を持った人が読んでくれる。これは老人の欲求にピタリと合う。
 そうだこれだ、と跳びあがらんばかりに喜んだ。けれどもそのブログは何をどうすれば実現できるのかまったく分らない。役所の住民課を訪ねても「ブログ係」は無いような気がする。やはり今の世の中老人には甘くないのだ。しかしこれをクリアしないと家なき子について語れない。老人は必死の思いでブログという巨大な風車に立ち向かう決意をしたのだ。
 有り難いことに意外なほど簡単にブログができそうだ。やってみるもんだな。最初に私見だと断っている。これなら人に迷惑は掛けない。掛けたりして。
 安達祐実のファンも、そうじゃない人にも読んで貰いたい。
                      (つづく)