izackのブログ

小説の投稿。

安達祐実の大ファンだっ!

 突然だけど、安達祐実の大ファンになってしまった。彼女が主演した二十年ほども前のテレビドラマのビデオを見たのがきっかけだ。タレントのファンになるのは楽しいものだと知った。ドラマの中の顔や表情に出会うたびに嬉しい気分になれた。
 若い頃、ビートルズのファンを自任していた。しかし今になってみると果してどうだろう。たとえば道でバッタリとジョンレノンやポールマッカートニーと出会う。そんな事が有るはずは無いし残念ながらジョンレノンはとうに死んでしまっている。だがもし彼らに道でバッタリ出会ったら、狂喜乱舞して(古いよ表現が)興奮してTシャツを引き裂き…私のシャツは着古しの洗いざらしで小さな穴が沢山ある。女房に言う。「おい、お前の顔が透けて見えるぞ。」すると女房は「まだ着られるでしょう。」と言い返す。なんて女だ。そのシャツを引き裂き体にサインしてくれと頼む。そんな自分を想像出来ない。ファンというより彼らの音楽が好きだったという事だろう。
 だが、もしも安達祐実と道でバッタリ出会ったとしたらどうだろう。だからそんな事は無いって。驚喜乱舞して(もうよせよ)そこら辺を走り回るかも知れない。あげく車道に飛び出して車に撥ねられてしまうかも。それこそがファンのあるべき姿だろう。
 けれども私が夢中になっているのは二十年前の安達祐実である。だから彼女のファンだというのは微妙な表現になるのかも知れない。なぜなら現在の彼女のことはほとんど知らないからだ。
 しかしそれは大した問題じゃ無い。私が安達祐実のファンであることは間違いないのだ。今ではあの「家なき子」の様々なシーンからお気に入りの彼女の表情をスマートフォンに登録していて、しょっちゅうそれを眺めながら幸福感に浸っている有様だ。これって肖像権の問題があるのかな。あるんだろうな、やっぱり。でもそんな事は気にしないのがこの老人なのだ。あまり上品な人間では無いな。
「どうだ、可愛い子だろう。」
職場でバイトの学生に見せた。
「めっちゃ可愛いですね。誰ですか。」
「これはな、二十年前の有名なドラマで主演した女の子で、名前をとくに教えてやってもいいが良く聞けよ。なんだもういない。」
若い者はせっかちでいけない。二十年前と言ったのがいけなかったな。あれで興味を無くしたんでは無いだろうか。せっかく安達祐実のことを聞かせてやろうとしたのに。…彼女のことを誰彼となく熱く語りたいという、もう訳の分らない感情にとらわれているのだった。
「安達祐実BAR」というのがあれば良いなと思う。そこは彼女のファンが人知れず集まる店なのだ。一番乗りは私だ。年寄りは時間の感覚が疎いのか。店主がまだ開店の準備をしているが何の文句も言わずにいてくれる。彼も家なき子の大ファンなのだ。同じ価値観を持っているのだ。何処までも寛容になれるはずだった。
 店は昔の西部劇に出てくる小さな酒場の雰囲気だ。床は板張りで、細長いカウンターがあり、中央には丸いテーブルとそれを囲むように椅子が置かれている。全て木製で飾り気が無い。
 次に入ってきた客はカウボーイだ。腰に二丁拳銃を下げている。シャツの首まわりと脇の下に汗が滲んでいる。家なき子を語りたくて砂漠を越えてやって来たに違いなかった。
 続いてチャコールグレーのスーツを着た男だ。白いシャツの胸のあたりにフリルがあってエンジ色の蝶ネクタイをしている。紳士のようでありながら、何処か崩れたムードを漂わせている。彼はカード使いなのだ。つまりポーカーの相手を見つけてはイカサマ技を駆使して金を稼いでいるのだ。
 最後にサラリーマンがやって来た。小太りでジャケットが窮屈そうだ。もう仕事は終わったとばかりにノーネクタイだ。この男は言い出したら聞かない頑固さを持っているがその実小心者なのだ。
 私は焼酎のコップを手にしている。カウボーイはバーボンだ。カード使いは気取ってスコッチ。サラリーマンはカシスなんちゃらというカクテルだ。男ならマテニーくらいにしておけとは思っても、そこは同じファン仲間、余計な事は言わない。
 店主が大きなプラスチック製の皿を持って来てテーブルの上に置いた。「こいつは店からだ。」
皿の上には大量の焼き鳥が串のまま並んでいた。四人は頷いたが誰も礼を言わない。この焼き鳥は結局テーブルの料金に含まれていることを経験的に知っていたからだ。だが店主も同じファンなのだ。嘘をつくはずが無かった。つまりは若干の割引と、串に敷かれている大量のレタスやキャベツが店の奢りだと理解していた。
 店主が今度は自分用のビールの小瓶を手に、いそいそとテーブルにやって来た。彼が椅子に着いたとたん、サラリーマンがフライング気味に口を開いた。
「家なき子の第一話で犬のリュウが初めてすずの足許に近寄ったシーン、あのローアングルで捉えたシーンさ。あの時すずがリュウに、何もあげないよ、って言ったよね。あれが頭を離れなくてね。すずが可愛いだけの少女じゃなくて、しかもドラマが一筋縄でいかないものだと暗示しているわけさ。俺はあのシーンを想い出すたびにすずが哀れでいじらしくってネ…。」
テーブルの皆は黙って頷いている。だが犬のリュウが登場する以前にすずはクラスメートのランドセルから塾の月謝を盗むという行為を働いている。すでにこのドラマが常識の枠を超えているのは明らかになっていたのだが、誰もその事を口にしない。同じ価値観を共有しているのだ。限りなく寛容な視点で互いを見ている。
 この時サラリーマンが「ぎゃっ。」と叫んで椅子から跳びあがった。隣のカード使いの肩と腕を掴んでいる。彼が怖れ慄きながら見つめる床の上には一匹のゴキブリがいた。まるで挑むかのようにサラリーマンに近づく気配だ。
 突然、カウボーイの45口径が轟音と共に火を吐いた。弾丸は一発でゴキブリの心臓を撃ち抜いていた。もはやピクリとも動かない。凄まじい腕前と言う他無かった。
 安心した様子で再び椅子に腰を下ろしたサラリーマンがカウボーイに言った。
「バーボンを一杯奢らせてくれ。」肩をすくめて続けた。「そうしないと俺の気が済まないんだ。」
カウボーイは微笑を浮かべて無言のまま頷いた。カード使いはサラリーマンに掴まれた自分の肩を手のひらで二度ほど払ったが何も言わなかった。
 さて、このBARの表の看板にそれらしき文字が書かれているわけでは無かった。だから安達祐実に無関心な客も訪れる。当然な事だった。そのようなとき店主は見かけない客であっても愛想良く近づく。そしておもむろに切り出すのだ。
「保阪尚輝と堂本光一。強いて言えばどちらが好みです?」
二人は安達祐実の共演者なのだ。保阪尚輝は家なき子1に、堂本光一は家なき子2に出演している。
その事を知らない客が「いったい何の話?」などと言おうものなら店主の態度はガラリと変る。
「その辺に座っていいぞ。」とカウンターの隅を顎で差す。
客が飲み物を注文すると渋々ビールの小瓶をその前に置いた。
「コップが無いんだけど。」客が戸惑って訴える。
「口があるだろう、口が。」と瓶から直接飲む仕草をして見せた。
それがこの店のスタイルなのだと客は一応納得したようだったが「つまみが欲しいな…。」と口にした。
店主は舌打ちをして小さいビニール袋を乱暴に置いた。ピーナツの文字が見えた。店主はテーブルに戻る途中でふと立ち止まって客を振り向いた。
「帰るときには金をカウンターの上に置いていってくれよ。」と不機嫌な様子で告げた。
テーブルの客達はそんな店主の態度を落ち着いて見守っていた。家なき子を知らない客には当然な振る舞いだと感じていた。いや、むしろ知らなかったのは運が良かったといえる。これがもし「ああ、あの家なき子か、所詮は子供騙しだね。」などといい加減なことを口にしようものなら、この男をどのような酷薄な運命が待ち受けていたか想像するだけで恐ろしい。まずカウボーイの二丁拳銃が黙っちゃいないだろう。
 このエルドラドのような酒場は残念ながら私の空想のなかにしか存在しない。大きな溜息をついて、しかし老人はあることに気付いていた。この日本にはいつの頃からか「ブログ」という制度があるようだ。これはつまり掲示板のようなものではなかろうか。そこに私見を述べることができ、興味を持った人が読んでくれる。これは老人の欲求にピタリと合う。
 そうだこれだ、と跳びあがらんばかりに喜んだ。けれどもそのブログは何をどうすれば実現できるのかまったく分らない。役所の住民課を訪ねても「ブログ係」は無いような気がする。やはり今の世の中老人には甘くないのだ。しかしこれをクリアしないと家なき子について語れない。老人は必死の思いでブログという巨大な風車に立ち向かう決意をしたのだ。
 有り難いことに意外なほど簡単にブログができそうだ。やってみるもんだな。最初に私見だと断っている。これなら人に迷惑は掛けない。掛けたりして。
 安達祐実のファンも、そうじゃない人にも読んで貰いたい。
                      (つづく)